診療形態の変更について
当院では新型コロナウイルス感染拡大防止のための措置として、待合室および診察室の敷地面積を考慮し、当面のあいだ下記のような診療形態をとらせていただきます。
※2020年4月初投稿→9月改訂→2023年1月改訂

詳細は以下をご覧ください。
診療のながれ(2023年1月25日改訂しました)
- 当院は完全予約制です。ご予約はネット予約、LINE(@monocaで検索)、メール(アドレスは診察券に記載)、お電話等がご利用いただけますが、ネット予約以外はこちらからの返答があるまでは確定いたしませんのでご注意ください(ネット予約の注意事項)。
- ネット予約の操作方法がわからないかたはこちらをご覧ください。
- ワンちゃんをお連れ頂く際は必ずリードなどをしっかりお持ちください。また、ご家族以外に慣れていない猫ちゃんは、洗濯ネットに入れたうえでキャリーケースに入れていただけると診察しやすくなります。
- 待合室に他の方がいらっしゃらないことをご確認のうえご入室ください(外から確認できます)。
- 待合室は原則としてお一家族さまのみの入室とさせていただきます。
- 待合室に前の方がいらっしゃる場合はお外やお車でお待ちください。ペットの体調、年齢、天候や外気温によって、お外で待つのが厳しい場合は遠慮なくお声がけください。
- ご入室の際のマスク装着については適宜ご判断をお願いいたします。当院の待合室は狭いため入室制限しておりますが、お迎えなどで同時刻に他のご家族と入室が重なってしまうことがあります。他の方がいらっしゃる場合にはマスクの装着についてご配慮をお願いいたします。
- 待合室にお入りになりましたら、受付に消毒液をご用意してありますので適宜ご利用ください。
- 病院スタッフが待合室でペットをお預かりして診察いたします。飼い主様には原則としてそのまま待合室でお待ちいただきますが、ペットの性格や診察内容によっては一緒に診察室にお入りいただきます。
トリミングにお越しの際にも上記に準じる形でご対応いただきます。
お薬やフード等のご購入のみご希望の方へ
お薬やフード購入等ご希望の方もご予約を願いいたします。ネット予約の場合はお薬・フード等ご購入専用のメニューがありますのでご利用ください。
病院からひとこと
2023年1月の改訂で、マスク装着と手指消毒を適宜(任意)とさせて頂きました。
当院ではコロナ禍前より受付の清掃、診察後の診察台および床の清拭、一作業一手洗いは徹底しております。これらはペット間の院内感染防止のためですが、同時に不特定多数の人が触れる箇所の清掃にもなっておりますのでご安心ください。
当院の待合室は狭いのでコロナ禍になって気づかされたこともありました。完全予約制にしたことで飼い主さまをお待たせすることがほぼなくなり、駐車場をスムーズにご利用いただけるようにもなりました。
たまたまアシスタント不在時に込み入った内容の診察があると、検査ができるまで飼い主さまをお待たせしてしまうこともありましたが、予約制にすることでそれを防げるようになりました。
待合室への入室制限は、狭い空間でペットどうしのトラブル回避にもなり、ペットのストレス軽減にもなったかと思います。
この3年ほどの間の日々の生活としては、感染症対策と呼ばれる過剰なほどの防衛行為に、これまで自分が学んできた免疫学や感染症学、微生物学の基本が覆された思いでした。
けれど自分の知識も既に古く役に立たないものかもしれないし、学生時代にかじっただけの学問で全てを語ることはできず、ただの獣医師として責任を負えるわけでもないので、必要がないと思うことでも具体的に何かを主張することはできませんでした。
根本的には自分は自分で学んできた学問を信じ、そして人は人でその方が信じているものを尊重すれば良いと考え、サービス業である以上は「人」に合わせるべきと考えて対応してきました。
マスクや手指消毒について、飼い主さまにもそれぞれのお考えがあると思いますが、今は相手の顔色をみながら自分と同じ考えなのかそうでないのか内心を探り合っている気がします。
飲食店ではお店に入れば客側はほとんどマスクをはずして食事と会話をし、店員さんだけが暑い厨房でもしっかりマスクをしているのを見ると申し訳なく思います。そして子供たちが誰もいない道路でもしっかりマスクをして登校している姿を見ると切なくなります。
もしも誰もいない道路上でも感染するような病原体であったら、呼吸ができるような隙間の多いマスクでは意味がなく、それどころかマスクに必死で眼の粘膜をガードをしている人がほとんどいないので、ほぼ全ての国民が既に感染していて、もし強毒株であったらバタバタと人が亡くなっているでしょう。
海外では早くから新型コロナウイルスは接触や飛沫ではなくエアロゾルが感染経路の主体といわれており、日本ではさまざまな専門家が国立感染症研究所や厚労省へ指摘しています。日本は最初に接触と飛沫がメインとして国民に感染症対策を周知してしまったので、ウイルスの実態がわかってきても修正する姿勢がみられなかったと指摘されています。
エアロゾルであるならマスクだけでは残念ながら予防効果はありません。ちなみに空気感染だとする意見もあり、感染経路は一つではないものの、全てがわかっているわけではありません。
空気感染の代表的なウイルスは水痘や麻疹(はしか)のウイルス、細菌では結核です。空気感染だと例えば感染者が入ったあとのトイレの個室にあとから入るだけでも感染するそうです。今までもこんなウイルスが街にいたんです。手洗いもマスクも効果がないウイルスです。
麻疹は昔(1966年~任意、1978年から定期)は一生に1回のワクチン接種でしたが、ワクチンにより清浄化してしまったことで知らない間の暴露が少なくなり、免疫効果がなくなった大人の感染が増えてきました。特に妊娠中に感染すると胎児に重大な影響がでるため、現在は2回接種を推奨されるようになりました。そうすうとさらに清浄化されるので暴露がなくなり…の悪循環になるかもしれません。
これまでもインフルエンザやおたふくかぜなど、ちょっとやっかいな感染症はもらわないに越したことはなく、病院では入り口や待機室を分けたり、学校は学級閉鎖にするなどしてできるだけ回避してきました。
それでもクラスの誰かがインフルエンザになると、知らないうちに広がったりしていたものでした。でもどこからの感染か追及することはありませんでしたし、濃厚接触者などという言葉もありませんでした。何度かかかって体が戦ってしのいできました。もちろんその中で不幸にも体力がなく戦いきれなかった人もたくさんいます。
新型コロナウイルス感染症と呼ばれる新興感染症が国内に入ってきたとき、正しく恐れる、という言葉が流行りました。けれど正しい知識と情報を冷静に発信する機関があっても、読み取る側が正しく受け取れなかったり、万が一のそのまた万が一すら受け入れられなかったりして、当初は体調の悪い人だけ利用していたマスクが、いつのまにか顔の一部にすらなってしまいました。
そして手指消毒にいたっては、皮膚のバリア機能を壊してしまうほど必死に利用する方もいて、一昨年や昨年は真菌感染が散発したり、強迫観念から消毒をやめられない親と、それを当たり前と思って育ってしまった子供も増えました。
昔から人の生き方はそれぞれの価値観で、健康で長生きしたいと思う方もいれば、ある程度割り切って短くとも楽しく生きたいと思う方もいます。
健康や長生きを目指すための基本的な常識はあれど、全てが正しいわけでもなく、また間違っているわけでもありません。そしてどんなに努力しても遺伝的要素には勝てません。
だから結局は、その人が何を良いと感じるか、幸せの物差しは人それぞれなので100人いたら100通りの生き方があるはずです。勝手な生き方をして他人に迷惑をかけるなと言う人がいますが、迷惑をかけたりかけられたりするのが本来自然なコミュニティです。
ところがこの3年は〇〇警察という言葉ができてしまうくらい、監視社会に近いものになりました。
未知の病原体によるパンデミック禍では、人命を守るためにある程度の規制が必要なのはわかります。これまで島国である日本は入ってこないようにする対策が上手くいっていたので、入ってきてしまった新興感染症についてあまりにも経験が浅く、さまざまな情報、特に恐怖心をあおる情報には国も国民もとても弱いということがわかりました。
人はいったん恐怖を感じると、それを拭うのはとても困難なんだとつくづく感じます。コロナ禍が始まった頃は私も例外ではありませんでした。喘息持ちの娘もいるし高齢の両親もいるので、そりゃあもう徹底的に対策しました。今でも怖くないわけではありません。
ですが怖いのはコロナウイルスに限ったことではなく、ウイルスがもつ怖さは昔から変わっていません。それなのに長い歴史の中でなぜ、今回だけ重箱の隅をつつくほどの感染予防対策をしなければならなかったのか。
統計は母数が増えれば増えるほど正確になっていきますが、母数が実は少ないコロニーで統計を取っていたり、人数で知るのとパーセンテージで知るのとでは受ける印象が違ったりします。東京都で2000人と聞いて怖がっていたあの頃、都人口1400万人の中の2000人は0.014%でした。厚生労働省がコロナ禍当初から統計をとってきており、新型コロナウイルス感染症の”いま”に関する11の知識(当初は10の知識、現在は2023年1月最新版)として随時アップデートをしています。
診断された人のうち年齢別の死亡率も掲載されています。本来は感染症の傾向を知る統計のために、陽性者数や症状、重症化率、死亡率などの報告が必要だったわけですが、情報社会の現在では一般市民にも陽性者数や死者数だけが日々報告されていきました。
母数に対する陽性者数や、陽性者数に対する死亡数などを見れば「あれ?」と立ち止まることができたようにも思いますが、陽性者=感染者・発症者=他人にうつす悪者と捉えてしまったり、これまで知ることのなかった感染症による、日々の死者数を見て世の中がパニックになっていってしまったように思います。
PCR検査をした人のうち、あるいは陽性者のうち、という前提なので全てを反映していないことを指摘する人もいますが、もし隠れ陽性者がいたら死亡率はもっと低くなるので心理的にもっと問題は解決しそうです。
群馬県では現在は(も?)死者について全てコロナ感染が直接原因のものではないときちんと記載されています。他の原因で亡くなった方でPCR陽性だったらコロナ死亡者の数値にあげているだけだ、ということです。
新型コロナウイルス感染症の陽性者であって、入院中や療養中に亡くなった方の件数であり、新型コロナウイルス感染症が直接的な死因でない方も含みます。
新型コロナウイルス感染症患者の死亡について – 新型コロナウイルス感染症情報 – 群馬県ホームページ(感染症・がん疾病対策課) (pref.gunma.jp)
恐らくですが国として未知の感染症の統計のために、まずは十把一絡げに数え、あとから考察するための措置として当初から行われてきたことだと思います。最初に振り分けてしまうとミスも起きるし考察には時間がかかるので、感染症の考察は10年後くらいに終了する、ということもあまり珍しくないと思います。もしそうならそうできちんと周知してくれていれば、もう少し冷静になれたのにと思いますが真実はわかりません。
マスコミによる感染者(本来は陽性者)の数値、死者数だけの報道は、見えない敵が悪い形に見える化されたことで、かえって恐怖を煽ってしまうことになった一因だと感じています。
日本人はもともと潔癖なくらい衛生管理の意識が高いので、見えない敵だからこそ余計な想像まで手伝って、恐怖が膨らんでしまったように思います。
いっぽうでウイルスと戦うにあたり、天然痘の撲滅や狂犬病の清浄化などの成功例が今となっては人間を過信させるものになってしまい、ウイルスをゼロにするというあり得ない概念まで産まれてしまいました。
動物の細胞にはウイルスを受けとる受容体があります。生物の進化にもウイルスが深くかかわってきたという説もあります。ある生物にとって有利に働く変化が、他の生物には不利になることもあり、それは選ぶことはできません。もし残念ながら人類が絶滅するような変化を受けるなら、それも運命です。
そういうことは46億年の地球の歴史のなかではたくさん繰り返されてきています。でも多くの変化は突然ではなく長い時間をかけて徐々にやってきます。生物は順応する力ももっています。感染症に対して最初はあたふたしても、だんだん免疫がついてきて強くなっていく力を我々は持っています。人間として考えれば、そう簡単に絶滅することはないはずです。
コロナ禍で色々行われてきた国の対策に対する考え方にしても、人々を分断させてしまいました。前述した厚労省が発表している情報も、陰謀論だとか反政府という主義の方々には無意味な統計でしょう。
確かに根本的な統計が違っていたら私たちに真実は一生わかりません。自分で考えて判断する材料すらなくなるので、これはもう諦めるしかありません。
でも統計が正しければ、最初から新型コロナウイルス感染症は致死率はそれほど高くない疾患です。感染した人のうち他の人にうつしているのは2割ほど、その2割が一度に多くの人に拡げてしまっているというのも当初から変更がない記載です。怖がってしまったのは国民のほう(というよりマスコミの報道の仕方かもしれませんが)で、国は恐怖にかられる国民を色々な方法で守ろうとしただけです。
予防対策にしても「三密」というのはわかりやすいように作った造語、飛沫感染は近くにいればいるほどリスクがあがるわけですから、近づかない、集まらない、換気をするというシチュエーションならいいわけです。これを具体的に示さないとわからない方のために、飲食店での長時間の宴会…などと例をあげたらそこだけクローズアップされてしまいました。
そして感染経路について濃厚接触という言葉のイメージで接触感染が注目されてしまいましたが、飛沫感染とエアロゾル感染が経路の主体であり、接触感染はあまり多くないことがわかってきています。
ですから手指消毒は本人がウイルスを含む飛沫(がついた物体)に触れた(という前提の)手で、眼などをこすったりして感染する間接接触感染を防ぐものです。でも接触感染そのものがあまり多くないようなので、それなら飛沫が眼の粘膜に付着することを防ぐゴーグルをするほうがよっぽど意味があるように思います(しませんが)。
親しい間柄でも相手の本心を知ることは難しく、恐る恐る聞いてみて、実はお互い同じ気持ちと知ってようやく安堵するというシチュエーションを経験したかたもいるでしょう。
でも今となっては、一番気にしているのは病原体より人の目で、どんどん歪んでいった風邪対策を元に戻す勇気がなくなってしまっています。
周りは必ずしも腹を割って話せる人ばかりではなく、相手と正反対の主張であったら軽蔑されるかもしれないと思い、多数派に合わせているだけかもしれません。
ですがどんなことにおいても全ての人の意識が一致できるわけではなく、多数といわれる人々の本心も知ることができないので、実は全く逆だったのにお互いに無理をしていたという笑い話にいつかなるかもしれません(アンジャッシュのすれ違いコントのように!)。
もちろんどんな感染症でも避けられるなら避けたいものです。風邪は万病のもとというように、風邪がきっかけで体質が変わってしまう子ともあるし、後遺症も新型コロナに限ったことではありません。そこまで詳細に調べられなかっただけでこれまでもあったことです。
多くの風邪ウイルスのほとんどは軽い風邪症状で済みますが、年齢や持病、体調によっては重篤になり命を落とすこともあります。ですから無責任なことは言えないし、確かにSARS-CoV-2は普通の風邪よりやっかいらしいことは確かです。
長くなってしまいましたが、当院で2023年1月からマスクと手指消毒について適宜とさせていただくのはどちらでも良いと思っているからであって、推奨したり否定したりしているわけではありません。これから花粉症に時期にもなりますし、病院や施設などでは昔から行われてきたことです。無駄なことではありません(が過剰にやるとかえって害になります)。
ただ当院は待合室が狭いので、マスクについて適宜といたしましても、他ご家族さまと居合わせる場合には弱い方への思いやりの気持ちをもってご配慮ある行動をお願いいたします。
なお、受付のビニルシートや我々のマスク装着について、診察後のご説明など飼い主さまと近接して会話をするため、飼い主さまに不快な思いをさせないためにもいましばらく継続する予定です。
しかしながらコロナ禍に新患でいらして下さった方は、これまでお互いマスクのない素顔を見れないままです。個人的な思いとして人と人がしっかり心を通わせるために、きちんと表情を読み合う形での会話を望んでいます。我々のマスクの装着についても少しずつ変化していけることを願ってやみません。
前述したように病院、薬局など感染症の方が出入りするところではコロナ禍以前からマスクを利用してきました。今でこそモダンでオープンな受付のクリニックが多いですが、昔の病院や薬局の受付窓口は小窓でしたよね。あれも感染症対策として当たり前のことだったと思います。
マスクは花粉やお掃除などで出るホコリを吸い込まないようにしたり、風邪の時に喉の乾燥を防いだり、くしゃみなどの飛沫を飛ばさないようにするためにも有効ですが、できればくしゃみや咳が出るような状況なら人前に出ないで済むようにしたいものです。
どのような時代においても、体調が悪かったり風邪をひいているなどの時には、無理せず休息をとること、とらせてあげることが、自分にとっても周りにとっても一番大切なことだと思います。